ベトナムとカンボジアとラオスの三ヶ国からなるインドシナ半島。「インド」と中国をさす「シナ」を合わせたような名前だが、この地名、「インド」と「シナ」が語源なのだろうか?そう思ったら、ズバリそのとおり。「インドシナ」とは、ヨーロッパ人が、「インドとシナのあいだの地域」という意味合いからつけた名前だ。この名称が初めて用いられるようになったのは、十八世紀末ごろのことといわれている。インドとシナのあいだの地域というと、インドシナ半島のほかにも、タイやビルマがあるので、ふしぎに思うかもしれない。だが、かつては、タイやビルマも含めて、「インドシナ」と呼ばれていた。インドシナ半島だけでなく、インドと中国のあいだに横たわる東南アジアの大陸部全体が、「インドシナ」と呼ばれていたのである。それが、とくにベトナムとカンボジアとラオスの三ヶ国だけをさして「インドシナ」と呼ぶようになったのは、十九世紀末のことである。当時、この三ヶ国はフランスの植民地で、フランスは、この三ヶ国をまとめて「フランス領インドシナ」と呼んでいた。それで、イギリス領だったビルマと、独立を保ちつづけたタイは、いつのまにか「インドシナ」と呼ばれなくなり、とくにフランス領だった三ヶ国だけが、「インドシナ」と呼ばれるようになったのだ。しかし、ビルマ独立前の古い地図には、ビルマのところに「英領インドシナ」と書かれているものもある。ちなみに、ベトナムのメコンデルタをさす「コーチシナ」という呼び方は、かつてベトナムが中国の支配下にあった時代、「交趾(こうし)」と呼ばれていたことに由来するといわれている。マレー系の人々が、「交趾」が誂って「クチ」と呼んでいたところ、ポルトガル人がさらに誂って、「クチン」と呼んだ。すると、インドのコーチンとまぎらわしいので、「チーナクーチン(中国のクチン)」と呼ぶようになった。その後、フランス人やイギリス人が、「中国のクチン」を借りて、「コーシャンシーヌ」とか「コーチャンチャイナ」と呼び、日本人は「交趾支那(コーチシナ)」と呼んだ。これが、のちにとくにメコンデルタだけをさすようになったのだという。
利用したいのが、ロビーにいるコンシェルジェ(アシスタントマネジャー)だ。直接訪ねていくのもいいし、客室から電話で頼むのもいい。街中の主要施設や観光の案内、切符の手配、飛行機のリコンフアーム、レストランの予約、ショッピングの相談、荷物の発送、郵便物の管理等々、何でもこなすのが彼らの仕事である。そして、よほど無理な頼みごとをする以外は、チップも基本的に必要ない。特に海外では一流ホテルのコンシェルジェは、社会的にも大変高い地位にいて、彼を通してレストランの予約などをすると、そのホテルの顧客として大切に扱われるものである。もし、ひどい対応をされたら、戻ってそのコンシェルジェに文句を言えばいい。現地では基本的に、外国人というのは何の信用もないと思っておくこと。それを助けてくれるのが一流ホテルに泊まっているというステイタスである。だから、航空機代はケチッても、ホテルはできるだけいいホテルを選び、その客として高い金に見合った様々な要求をすればいいのだ。そして、よほど非常識な要求でない限り、客の要求に誠実に応えてくれるのが「いいホテル」なのである。
諌早湾(長崎県)のムツゴロウがすっかり有名になったが、本場はこちらの佐賀県側である。諌早湾の干拓の是非については、公共事業論と自然保護論がごっちゃになっているのにはちょっと疑問がある。公共事業としては、地元にとっての長年の願いだったことについて同情するし、反対の論理に都会人の倣慢も感じるが、締め出しを強行した理由も十分に説得的とはいえない。一方、ムツゴロウを守れといっても、郷土料理として日常的に食べているようなものの保護は工事反対の理由になるのだろうか。ムツゴロウの可愛らしさが議論を混乱させている面もあるのではないか。クチゾコ、ワラスボ、アマゲキなどという名前から奇怪な有明海の魚介類はユーモラスであったりグロテスクであったり、ちょっと変わったものが多く、それに工夫を凝らして郷土料理にしている。とくに弘法大師が流した葦の葉が魚になったといわれるエツという細長い魚を天ぷらにして食べる屋形船は有明海の春の楽しみである。